ともまろの徒然ブログ

その日、その時、思った物事を書き綴ってみる場所。

手術後3日目

身内や大切な人には、なるべく早く現状報告をと思ってラインやメールを送っていたけど、中にはスタンプ返信だけだったりしていた。

溜まっていたラインやらメールのお返事をちゃんとしないとな、とやっと思える様になりこなして行く。

すると、私からの連絡を待っていたよと返してくれる優しい友人たちからの返事に癒される。


人が発する言葉と言うものは、使い様に寄っては、癒したり癒されたり、傷ついたり傷つけたり、不安になったりさせたり、、、ひとつの物事を表現するのも、いくつもの言葉を選ぶことができるけど、ちゃんと考えて綺麗で、的確な言葉を選んで発しないとなとここ最近思います。

「言霊」

と言う存在を意識しているのもあります。

発した言葉は結局、自分に返って来るのでは?!

と思って。

だからなるべくネガティヴな言葉は発しない様にしようと思います。


術後3日目の食事はあっさりと普通食に戻っていた。

看護師さん曰く、リンパ節も切除してしまったので、動かないと浮腫み、血栓が出来るので、養生する必要はなく、どんどん動く様にとの事だ。

食べ物の制限もなく、腸の活動を活発にしないと腸閉塞になってしまうので何でも食べれる物、食べたい物を食べて下さい、と言われた。

とは言え、急にたくさん食べられず、いや、自分が思いの外、全然食べられなくなっている。

折角なんで、糖質制限始めようかな。

炭水化物を少なめに。。。


夕方前に家族が会いに来てくれたけど、昨日とは打って変わってお腹から声を出せて子どもと話せる自分を取り戻せていた。

お腹の痛みも半分以下になってる。

よし、もう峠はとっくに越えられた。

手術後2日目

時計をボーッと常に視界に入れながら痛みを感じながら時を過ごす。

痛くてたまに呻いてしまう程。

体勢を変えたくても、お腹の傷や腰や背中が痛くて思う様に動けず、楽な体勢が見当たらず(>_<)

たまに看護師さんがやって来て、痛み止めの点滴を投与してくれるも、劇的変化までは得られず、無理言って時間の関係が許す限り、睡眠剤も投与してもらってやっと眠れる。

と言う状態を繰り返し2日ほど過ごしていた。

早く峠、越えたいな、と思いながら。

子どもらの世話を代わりにしてくれていた姉からライン来て、

子ども連れて行っていい?

と聞かれたけど、とても相手できる余裕がなかったので断ってしまった(T-T)

姉は説得してくれて、結局ドンキでスライムを数種類買ってあげたら落ち着いたとの事。

私との天秤はスライムで、スライムで納得かっ(^^;)

安っ(^^;)

まぁいいんだけど。

この日からおかゆ食が早速始まったけど、とても食べる気になれず、全く口に出来なかった。

午後には起き上がって立つ練習しますよと言われて、ベッドの背を立てて足を床につけようとするも、体勢が変わったら急に気持ち悪くなって目眩もしてしまい、傷も痛くて踏ん張れず、全くダメでした(T-T)

夜に仕事帰りの夫が寄ってくれたけど、何を会話したかも覚えておらず。。。

夜中に吐き気がしてきたので、吐き気どめを打ってもらったんだけど、結局その後直ぐに嘔吐してしまい、総取り替えの巻と言う(>_<)

シーツやらパジャマやらを取り替えて頂く為に、やむなく意を決して立ち上がってみたら、案外昼間よりすんなり立ち上がれる自分と遭遇。

全て取り替えて頂き顔を洗ってみる。

顔を洗う些細な体勢も腹筋使っているんだなと実感しつつもこなせる自分。

進歩を感じた。

動けたせいか、やっと便意が訪れたので、便器に座ってみたら、ビックリするほどドッサリと邪悪そうな中身が出て超スッキリ!

しかしこれを機に、この夜はお腹が下ってしまい、一時間置きにトイレに通うことになってしまい、これまた安眠出来ずな夜でした。

が、おかげで歩ける様になり、体のダルさも軽減された。

最初は絶望に浸っていましたが、振り返れば劇的回復だったなと。

人間の回復力も捨てたもんじゃないと

実感しました☆

まな板の上の鯉

2018年4月4日

この日は生涯忘れないだろうな。

前日に入院したのだけど、更にその前の日までの10日間、予定通り、楽し過ぎる春休みを故郷で満喫して来たのでした。

私は自覚症状がなかったので、この日まで至って普通に過ごせていました。

あえて言うなら、オリモノが通常より多めだったかなと感じた事でした。

もっとも、自覚症状が出てからだと、症状が進み過ぎて手術出来ないレベルになるとの事なので、ガン化してしまってはいたけど、早めに見つかって良かったと思おう。

朝ごはんは勿論抜きで絶食。

前日入院時から、食事制限されており、

アルジネートウォーター

と言う術前に飲むと、術後の経過が緩和されるとの事の特別な飲み物を4本飲みました。

味はポカリみたいで、難なく飲める味でした。

朝一番の仕事は、浣腸されてお腹を空っぽにする事でした。

その後、脊椎に管を通す処置をしました。

5年前に子宮筋腫除去の鏡下手術をした時に、この処置を経験済みなんだけど、やっぱり嫌な感じだったな(T-T)

そして直ぐに現場へのお迎えが来た。

別に表面上は具合悪くないので、歩いて手術室まで行きました。

エレベーターに乗り降りると、自動扉の向こうに青色の手術着を装着された、可愛らしくて若い女性スタッフが三人、お出迎えしてくれた。

挨拶をしてくれ、名前の確認をされて、手術内容に間違いはないか最終チェックをされた。

そして、青いキャップを被せて頂きいざその場所へ。

事前に、

何かご希望の音楽はある?

と聞かれていて、咄嗟に思いついたのが、

何故か、何故なのか、、

橋幸夫の

恋のメキシカンロック

だったのだけど、そんな事も言えないので、

普段パートのお店でいつもジャズをかけているなと思い直し、

「無難にジャズ辺りで」

とお願いしておいた通り、現場へ入ると、カフェの様なジャズが軽快にかかっていた。

男性スタッフが小粋に私の手を取ってくれて、手術台の階段を数段上がり、横になる私。

手術中は肌と内臓が露出されっ放しだからだろう、手術台は暖かく快適だった。

横に可愛らしい女性スタッフが、今となっちゃ何話したのか覚えていない程の、何気ない話をいくつか振ってくれて会話をしているうちに記憶を失う。




腹部がズキズキ痛い

背中も

腰も

痛い。

呼吸が苦しい


「まだ目を覚ましませんか?」

「そうみたいですね〜」


何?!

寒い!!

すごく身震いするっ

ブルブル。。。

ガチガチ。。。


「もう19:30過ぎかぁ」


喋れない。。。

寒いよーーー。

気持ち悪くなってきたし。。。


終わったの?


目を開けると病室の天井だ。


「あ?

起きた?

全部キレイに取れたってよー」

と夫の声。


痛い。

痛いよぉ(T-T)

動きたいけど、痛いぃ(T-T)

遂に涙が流れ異変に気付いてくれたらしく、

「大丈夫?!どうして欲しい??」

と聞かれるも、喋れない私はただただ涙を流す。。。

とりあえず看護師さんを呼んでくれるも、訴えられず、悶絶する事どのくらいだったのだろう。。。

やっと喋れる様になってから、

「痛いのでどうにかして下さい!

眠らせて欲しいです」

と訴えるも、

「ごめんなさい、鎮痛剤を投与する時間の感覚が決まっていて、もう少し時間を空けないとならないのです。

時間経ったら投与しますので、頑張って下さい。」

と、せめて身体の方向を変えましょうと色々とクッションを下に挟んでくれたけど、全然癒されず。。。

その後やっと鎮痛剤&睡眠剤を投与してくれたけど、眠りに入る間際が、結構吐き気的な感覚に襲われて気持ち悪いのが続きつつも、いつの間にか何時間か寝れる、的な長い夜に、流石に絶望しました。


手術は9:00〜17:00くらいだったそうです。

普通の日勤時間帯にずっと同じ体勢で横になって内臓処置されていたのだもん、体痛くなるわな(>_<)

にしても、術後の覚醒ってこんなに気持ち悪いものなんだと実感しました。。。